■Q1. 最初に、「地域振興」に関するお仕事経験について教えてください
松田:「地域のためになにかやりたい」という想いを大切にしている自分にとって、島さんの「地域振興」に関する仕事経験にとても興味があり、詳しくお聞きしたいです。
島:地域振興のお手伝いをする仕事を担当していたころは、地域プロジェクトの企画サポート、地域経済や設備投資動向の分析、地域のトピックを調査レポートとしてまとめる、といった業務を行っていました。エリアとしては関東甲信地方や東海地域を担当、一人出張が非常に多く、平日の昼間にローカル線の何もない駅で電車を待つのが日常茶飯事でした。当時、「シャッター商店街」が社会問題になっていた頃で、地方の駅前にはお昼ご飯を食べる場所もない…という状況を肌身で感じました。
いくつもの事例を経験しましたが、地域振興というものは難しく、未だに悩みます。当時も、なるべく地域に入り込んでいくように…とか、地域のステークホルダーと知り合っていくと情報の質が変わってくる…ということは分かってはいました。でも所詮は「よそ者」であって、地域で本当に頑張っている人たちと比べると、落下傘的に来て、もっともらしいことを言って、仕事が終わると帰っていく。これでいいのか?というのはずっと感じていました。ただ、そのうち「自分のような人がいてもいいのかな」と思うようになりました。地域の方々が、地域をよくしたいと考えるのは当然なことですが、一方で逃げも隠れもできない、しがらみもあるから思いはあっても動けないケースもよくあります。そのようなとき、ヨソものでモノ好きな人間が一人くらいいるとかえって議論が活発になることがあります。自分はそんな役割を果たせばよいのかなと思うようになりました。だから、いろんな地域の情報をお土産にしていくように心掛けていました。
松田:自分も仕事経験の中で、首都圏から地方に行っては戻ってくるということを繰り返していましたが、この仕事に意味があるのかなと思うことが多々あったので、割り切って関わるという考え方は参考になりました。
■Q2. 新卒で「日本開発銀行」に入職した決め手は?
埼玉で生まれ育ちました。子どもの頃から、運動会で一等賞になるとか、テストで学年5位以内に入るといった、競争して切磋琢磨する、というようなことにはあまり惹かれないタイプです。それにどうも、マイナーな方に惹かれてしまうオタク気質がありそうです。高校3年生からバンドをはじめて、いまも続けているのですが、ギターやボーカルではなくベースを選択しました。埼玉生まれだけど、西武ライオンズではなく、今でも広島カープのファンです(名前を逆さにすると「ひろししま」なので運命を感じて応援しています)。
就職活動をするときも、「競争は苦手」であることや、「マイナーな方に惹かれる」部分がでたのか、当時流行っていた金融業界を志望しながらも、「日本開発銀行(現在の日本政策投資銀行)」という聞きなれない銀行を選択しました。メガバンクはノルマがあって同期との競争が激しそうだな…といったことを考えていました。決め手は、もちろんそれだけの理由ではなく、開発銀行、政府系金融機関であること、など、聞きなれない言葉に興味を惹かれ面白いことをしたいと思ったことです。それに、「開発」にも関心を持っていました。小学生のころ、塾の行きかえりで、山手線の窓越しに西新宿の開発が進んでいるのを見ていました。見るたびにニョキニョキとビルができていくのを目の当たりにしたことが、「都市開発」というものに漠然と興味を抱いたきっかけかもしれません。
■Q3. 「なにを、どうすればいいのかから考える」ことに苦労はあったのでしょうか?
島:銀行でのキャリアの半分は、「技術経営」の仕事をしていました。これは誰もやったことがない仕事で、なにを、どうすればいいのか?から自分で考えながらはじめて、なんだかんだと15年近く担当をしました。
松田:「なにを、どうすればいいのかから考えた」というのには驚きます!自分は、これから何年後に何をしたい、と先に目標を立てて動くタイプで、逆にそれに縛られてストレスになることもあります。目標がないことにストレスを感じることはないのでしょうか?
島:逆に、明確な目標を立てて、そこに向かってコツコツ努力することが苦手なので、自分で考えて!と言われた方がラクだと感じました。何をすればいい、という外からの達成目標がないので、自分で達成目標をつくる。うまくいかないことがあれば試行錯誤してもバレませんし、目標自体を変えられる。自分では失敗かなと思っても、人がつくった達成目標ではないので、失敗したとも思われない。そんなやり方がとても性に合っていたので、苦痛ではありませんでした。こう言ってしまうと身もふたもないかもしれませんが、「面白いと思うことをする」、「先のことを考え過ぎない」ということを大事にしてきました。「知識創造理論」でいう、暗黙知を見つけ出す悶々としたフェーズや、暗黙知を形式知に統合していくようなフェーズといった、「カオスだったものがだんだんわかっていくプロセス」をとても楽しんでいました。たとえば、融資審査をする際も、最初はカオスで何が本質か分からないときも、情報を集めていろんな角度から眺めていくとだんだん結びついていく、その瞬間がとても快感でした。「ユリイカ!」みたいなものですかね。
松田:誰もやったことがないことや、難しいお題を任せられる、というのはすごいと思います
島:気分的には、テレビ朝日のドラマシリーズ『相棒』に出てくる「特命係」のようなイメージです。傍流なんですが、変な話がくると放り込まれるような。誰もやらないマイナー感が、とても心地が良かったです。
■Q4. 地方創生や地域活性化について、注目している要素や考えがありましたら教えてください。
地域振興は実務でずっと携わってきたテーマですが、「地域振興」という言い方をすると、中央からの上から目線を感じさせてしまいます。自分の美学としてもイマイチしっくりこない。江戸時代の幕藩体制の頃のように、江戸幕府はあっても、地域が独自に殖産興業や人づくりをするような形の方がよっぽど多様性があったのではないか。この辺が地域振興の本質ではないかと薄々感じています。でも、正しいかどうかはわかりません。
注目すべきは、やっぱり経済循環ではないかと思います。
明治以降は中央集権にして「均衡ある国土の発展」がモチーフになったことで、地域の特徴が消されていきました。いろいろな政策の変化はあるものの、政策の根幹は、「地域がまだ弱いから、多極的に輝けるように資本やリソースを持っていこう」といった分散型の施策であることは変わってない気がします。
地域の企業の多くは地域内の消費マーケットを対象にしているため、敢えてこれまでとは違うことをしようという気分は起こりにくいのですが、そこから脱却して、地域企業が新しい経済循環を生み出していくことは重要だと思います。
■Q5. FCAJに参画された経緯や今後活かしていきたいことについて教えてください
日本政策投資銀行の技術事業化支援センターで、デザイン思考を軸とするオープンイノベーションの場づくり(金融機関初のフューチャーセンター)に取り組むことになり、有識者として紺野先生に巡り会ったことがきっかけです。
FCAJはプルーラルセクターで、個人が個人でいられる貴重な場だと思っています。それぞれ所属しているある意味封建的な社会(会社)から抜け出して、FCAJという場で「個」になって、個人であるがゆえの自由さや弱さで協力し繋がっていくことで、様々な価値を生み出していると思います。FCAJのコミュニティは、「個人」の精神のレジリエンス(しなやかさ)を維持するうえでも、個人的に大切な存在だと思っています。
聞き手・記事:松田悠大(UR都市機構)
記録・編集:内原英理子(BAO)
2022年6月28日(火)9時00分~10時00分オンラインZoom