FCAJInterview06 住田孝之さん

■Q1. どんな幼少期でしたか?

生まれも育ちも横浜の日吉。山あり谷あり、昆虫採集をする等自然豊かな環境で育ちました。男三兄弟の末っ子で、常に2人の兄の行動と結果をよく観察する癖がつきました。

中高生の頃は、数学と化学が大好きで、完全に理系。大学進学の際に文転し、大学では法学部を選択しました。でも、入っておいてなんですが、自分に法律は向かないと思いました(苦笑)。理系科目は、「再現が可能」だと思うのですが、社会科系の科目は暗記勝負。実は法律もロジカルにできているのですが、ベーシックな部分をたくさん覚えていないと論文は書けないし、法律の解釈は、いくつもあり、判例も覚えていかないといけない。「法律」というものに未来を感じられませんでした。

ちなみに、大学時代はアメフトをやっていました。中高は水泳部でした。今もスポーツが大好きです。走ることも好きで今も続けています。


■Q2. 通産省(現経済産業省)を就職先として選ばれた理由は?

就職活動を進める中で、日本や日本人のためになることができたら…という漠然とした感覚と、世界を相手に仕事がしたいという思いがあることに気がつきます。どちらも叶う仕事はなにかと考え始めたのですが、民間企業では社長のため、上司のために働くのか…と思ってしまい、当時の自分はどうもしっくりこず。それで、初めて、「役所」という選択が自分に合うかも?と思うようになりました。ただ、法学部の中からだと、すごくまじめな人が役人になっていくイメージが強くて、そんな人と一緒に働くなんて…と思っていました。

学部4年生の春、通産省の職員の方が、ご自身の仕事についてイキイキと話をするのに感銘を受け、ここなら思いを持った人と仕事ができるかもしれない、と通産省に興味を持ち始めました。国家公務員試験受験後の官庁訪問では、正直、通産省以外には全く興味を持てませでした。

無事に入省してからは、幸せなことに、30数年やりたいことをやらせてもらえました。新しいこと、イノベーティブなことが好きで、いろいろとモノ申していたのですが、それなりに評価していただけたと思っています。もちろん辛いこともありましたが、冷静に考えると自分の知識や経験が不足していることは明らかだったので、乗り越えなくてはと思って一生懸命仕事に取り組んでいました。


■Q3. イノベーティブなことが好きとのことですが、原体験はありますか?

子どもの頃、母と買い物に行くときに、お釣りがいくらか計算して、レジの人が言う前にいくらと言うんです。いつもすごく褒められました。下の桁から9を引くという簡単な引き算を思いついてやっていただけだったのですが、目の付け所さえちゃんとしていれば、すごいと言われることってあるのだなと思いました。これが原体験かもしれないなと思います。こんな風に、自分は何が得意で何が苦手なのか?をいつも考える癖があります。


■Q4. イノベーションの実装に取り組むきっかけは?

日本企業は、能力があるのに活かせておらず、経産省にいるときからマズいと思っていました。実は、日本人は改善、改良へのマインドはものすごく強いです。今まで培ってきたものを大きく変えるのが苦手なだけで、発想の転換をすればもっと大きなイノベーションが起こせる。そのために、企業という枠組みから離れたオープンマインドの人が集まる第三の場所を作りたいと思っていました。

また、政策が一番イノベーティブでないものだとも思ってもいたので、政策のイノベーションにも取り組みました。一番印象に残っているのは、「エコポイント」です。当時にしてみれば、まったく発想の違う政策でしたが、大きな話題になりました。ちょうど娘が中学生になった頃で、中学校の試験問題でも出たと言われました。家でよく話題を聞いていたから分かった、言われて、やっていてよかったと思いました。


■Q5. 仕事をするにあたって大切にしていることはありますか?

米国の大学院とベルギーでの駐在の合計6年ほど海外で暮らしていました。海外に出ると、常に「日本の強みは何か?」を考えるようになります。日本の文化、人種的な背景が、世界の中で弱みとして出るときがあることを明確に認識していました。決して弱みだけではない、強みを出せるようにしたいとずっと思ってきたことが、エコポイントの政策立案に繋がった部分もあります。「補助金をあげます」という政策ではなく「ポイントなんです」といい、貯めたくなる衝動を活用しました。受け手目線で、どうしたら共感してもらえるかを考え、デザイン思考で考えた政策です。

また、海外に出て以来、「負けない」「魂を売らない」ということを大切にするようになりました。海外では、簡単にはYESと言わない、常にNO!で戦う姿勢でしたね。体育会気質だからかもしれません。あとは、独りよがりで考えないようにすることも意識しています。何かやるときは、必ず受け手が何を考えているかを考える。何か伝えることが大事だというけれど、伝わっているのか?の方が大事だと思います。伝える行為だけでは解決しない、伝わっていて、共感を得られるかどうかが大事です。

一緒に仕事をする人に対しては、それぞれの個性を大事にして、その人の得意な分野で戦ってもらいたいと思っています。楽しいをみんなが感じ合えることをとても大事にしています。ヨーロッパでは、失敗したら乾杯しよう、という人もいました。日本にはない雰囲気だと思いました。楽しくないとイノベーションは生まれないですね!


■Q6. FCAJとはどこで繋がりましたか?

イノベーション政策を担当しており、2007頃には既に、イノベーションのための「場」が必要だという話がでていました。その後、赴任先のベルギーで当時の欧州のイノベーションの動きについても議論していました。紺野先生との出会いはその流れです。一緒に(場づくりを)やりましょうという動きになりました。

FCAJの活動は自分にとって集大成のひとつです。社会全体を変えていく、人間社会だけではなく、生態系全体に関わるような、自然の関わりを含めた社会、これまでと違う関係を作るためのイノベーションに繋げたいですね。若手のみなさんにも伝えられたら嬉しいです。先に話したように、「伝えたい」けど「伝わる」ことが大事なので、「伝わっている」かどうか…FCAJの活動の中で実感してもらえたらと思っています。


■Q7. 20代でやっておいてよかったこと、やっておけばよかったことは?

早い時期に海外で暮らすことはぜひやっておいた方がいいと思います。海外旅行ではなく、生活することで、日本の特徴にも気がつくことができます。イメージではステキなパリも、住んでみると治安が悪くて、盗難の被害にあえばいい体験だ、というくらい。

あとは、起業も若いうちにやっておくといいと思います。自分自身は起業した経験はありませんが、役所で起業に近い経験もしましたが、全然考えが甘い、ということに気が付きました。新規事業の立案等も含めて新しい企てに関わることを経験した方がいいですね!

聞き手・記事:村松和香(UR都市機構)

記録・編集:内原英理子(BAO)

2022年8月25日(木)16時~17時オンラインZoom