FCAJ Interview10 山際邦明さん

■Q1. 小さい頃の印象的な出来事で、いまに繋がっていることはありますか?

地元は福島県の中通り、宮城県境に近いところです。小学生の初めの頃、家の目の前の道路でオートバイにはねられたことがあって。怪我は大したことなかったのですが、1カ月ほどたったころ、ふと「自分が右に行くか左に行くかで、未来が変わるんだ…」というイメージが降りてきたのを今でも思い出します。何も考えずに家を出て事故に遭い、生死がよぎったのかもしれません。以来、「自分で選択する」ことの大事さについて強く意識するようになりました。

 理不尽なことも大嫌いでした。当時の地方はどこも方言がきつくて、全国的に標準語を広げようという動きがあったようで、地元の小学校でも毎月、方言を使わず標準語で話せた子が表彰される「ことばのよいこ賞」という制度がありました。私は父が中学校の教員で、家で標準語を指導されていたため、賞をもらえていたんですが、ほとんどの友達は毎月、開始後半日もしない間に方言が出てしまう。標準語が正しくて、方言はいけないかのように評価されることに理不尽さを感じていたんだと思います。5年生の頃、友達がつい使ってしまう方言を分析して、パターンに分けてレポートにしたんです。これには先生たちにもびっくりしていましたし、今でも同級生からあのレポートはすごかった!と話題になります。

 性格でいうと、通信簿の「根気強さ」には全く〇がついたことがなくて。単純作業が苦手で集中力が続かない、嫌いなことをやるのが我慢できない、逆に好きなことには夢中になる、というのは相変わらずだと思います。

 

■Q2. 新卒で豊田通商を選んだ理由をお聞かせください。

就職活動は、オイルショックの頃でした。大学は紆余曲折があって、法学部を選んだものの好きになれず同期が選ぶような就職先にはまず興味がありませんでした。

 実は、美術や文学が好きで、大学時代も高校時代に文芸部長だった他の学部の友人たちと、短い小説や詩を書く活動をしていたこともあって、「感性」を大事にしていましたし、言葉を洗練していくことも好きでした。そこで、まずは広告代理店のコピーライターを目指し、最終面接まで残ったけどしゃべりすぎて落ちてしまいました。それで、次に興味を持っていた商社に。なんで商社なのか?というのも、自分らしい理屈で、メーカーさんのように、物事を真正面から深堀りするのではなくて、ビジネスを横から、端っこから、間から見て、何ができるかを考える仕事だと思ったから。それから、自分の「根気強さ」に限界があることをわかっていたので、入社してから選択肢の幅がありそうなところに興味を持ちました。しかも、当時の豊田通商は、東証一部に上場したばかりで、若手の活躍の可能性が大きかったこと、会社としてまだ色がついていなかったのも魅力でした。

 

■Q3. 仕事で最も印象に残っているエピソードを教えてください。

入社して10年目ごろにアメリカに赴任し、7年間駐在、鉄鋼事業の立ち上げを担当しました。当時、アメリカでは豊田通商というブランド力は全くなく、現地で大卒の社員もほとんど採用できない頃で、本当にがむしゃらに働いて、みんながついてこれなくなったことがありました。正直、パワハラまではいかなかったと思うけど、狂気の世界に近かったと思います…。胃潰瘍になったのにも長い間、気づきませんでした。

 その頃、現地社員の前で「俺が3人いたらできるのに!」という失言をしてしまいます。でも、それがひとつのきっかけになって、現地スタッフの本音を聞くことに繋がり、多様なスタッフの個々の強みを組み合わせたマネジメントの大事さ、共に目標設定をすることの大事さに気づくことができました。その結果、知名度のなかったところからはじめた事業も、実際に取引先からNo,1の評価をもらうまでに成長させることができました。日本に帰国することになった時に、この経験から、多様な人材の潜在能力を最大化することに貢献したいと自ら希望し、人事に異動しました。

 

■Q4. 仕事をするうえで大切にしてこられたことは何ですか?

仕事で厳しい状況にあった時にいつも思い浮かべるのは、格言とかではなくて「詩」です。

    おれは今知っている、おれに何が必要であるか、
    濡れずに海から躍り出ること。
    明日おれは鮫であるかもしれないのだ。
    だが明日はおれは風であるかもしれないのだ。
    旗であるかもしれないのだ。     
              大岡信の詩集より

 40代の一番厳しい経験の頃、この詩の「濡れずに海から躍り出ること。」という一節が、常に頭をよぎっていました。しんどいことを人のせいにして、自分自身が染まったり、影響を与えられて、取り込まれていかないように。人のせいにしないで、未来に向けて今、自分で選択する。その環境や周囲の人からも様々なことを学ぶけど、染まらず「濡れずに海から躍り出る」イメージを大切にしていました。言われてやるのは「精神的な奴隷」のような気がします。ちゃんとやれても、褒められても、嬉しくない。外からのミッションにしても、自分の中で掘り下げて、更に自分の感性・直観・価値観・志で捉えなおす。それが「ジブンゴト」としてとらえなおすということだと思っています。

 

■Q5. FCAJで今後やりたいことを教えてください

豊田通商にはいわゆる「イノベーションの場」のようなものはなかったのですが、当時FCAJ理事であった4人の方とそれぞれ別の長いお付き合いがあったご縁でFCAJとの接点が始まりました。

 日本はヒエラルキーが強く、忖度をするので、本音の対話が起きにくいと感じています。この構造は会社だけでなく、いろんなコミュニティーにもあり、例えば産官学民の共創も隠れたところに心理的な壁があってうまくいかないことが多くあります。私は、日本の商社合併だけでなく、海外のM&Aも経験があるので、その経験を活かしたお手伝いは、FCAJでできそうな気がしています。

 2022年に豊田通商を退職しました。いくつかの企業からお誘いも頂いたのですが、ずっと「経済人属性」で仕事をしてきたので、これからは、それを一旦外して、「市民属性」、「地球人属性」で生きてみて、そこから見えてくるテーマに関わっていきたいと思っています。特に、次の世代に向けて、私の経験を活かして、新たな見え方や気付きに繋げるお手伝いが出来たら嬉しいと思っています。経営層でも、既存の考えに染まっていない人もいるので、ヒエラルキーを感じないフラットで本音の双方向の対話ができるといいですね。上の人間も忖度でまつりあげられていて、弱みを見せたくないので、強がってるだけだったりする傾向もあるかもしれません。お互いに一歩踏み出して対話することで関係性に変化が出てきたり、お互いに貴重な気付きや洞察の機会になるかもしれません。

 

■Q6. FCAJの若手に、メッセージをお願いします

まずは、ネットワークの多様性を保つことを意識してもらいたいです。ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)というけど、今の仕事のネットワークだけに集中していないか?自分の中の多様性は拡がっているのか?逆に狭まっていないか?常に確かめながら、メンテナンスを続けたらいいと思います。できれば、海外のメンバーもネットワークに入っているとよいですね。多様な人々との対話の中で出てきた気づきと対峙して、内省や自分自身の変容、自分自身の内部のD&Iに繋げることも大事です。

 次に、リベラルアーツを学ぶこと。「感性」を大事にしてきましたが、私自身は本を読むほかにも、芸術に触れることも大事にしてきました。美しいものや自然に触れることは意識してやるといいです。

 そして、自分の価値観・志を大事にして、進化させながら、自分で選択する癖を身につけて欲しいです。この時にネットワークと感性・直観が活きてきます。価値観は、人によって違うことを認め、自分の価値観について考える癖を持ち、アップグレードしていってほしいです。その上で、自分で選択、決断すると、失敗しても真摯に反省することができます。人の判断にのっかると、人のせいにしてしまう。そうすると変化も起こせないし、成長も止まってしまうと思います。人のせいにしてしまう状況を、自分の中から追い出す癖をつけてもらいたいです。