■Q1.どのような幼少期、学生時代を過ごしていましたか?
父は石炭火力ボイラーのエンジニアをやっていました。神戸で生まれたのですが、アメリカの提携先に技術を学びに行くことになり、家族で5歳までアメリカで暮らし、帰国してからは東京に住んでいました。姉と弟の三きょうだいの真ん中です。
帰国して、地元の小学校に通うのですが、集団登校を引率してくれる上級生の名前をいきなり呼び捨てにしたことで、ひどく怒られたことがいまも記憶に残っています。日本では年上をファーストネームで呼んではいけなかったのです。
学生時代は150人くらい部員のいるテニス同好会の主将をしていて、「経済学部テニス学科」みたいな生活でした。ほとんど授業に出ずにテニスコートに直行していました。
何せ80年代後半はバブルの直前で、日本企業は世界で敵無し、世間全体が盛り上がっていて、楽しいことがいっぱいあったんです。とにかく遊ぶことしか頭にありませんでした。これまでインタビューを受けられたFCAJの理事の皆さんとは、まったく正反対。絵に描いたような劣等生でした。
就職活動の結果、富士ゼロックスにどうにか入れて頂いたのですが、当時はメーカー直販体制を敷いていて「営業ノルマが厳しい会社」として知られていました。実力で勝負するビジネスの世界に足を踏み入れて、学生時代の甘い気持ちが一瞬で吹き飛びました。
■Q2.会社に入って、どのように意識が変わっていったのですか?
新卒研修はハードでした。例えば、取引関係のない競合先の顧客リストを200件渡されて、商談機会につながるかどうかを、飛び込みスタイルで調査してくるというコンテストがありました。名刺すら与えられず門前払いの状態から、一歩ずつ壁をクリアし、「わらしべ長者」のように有益なビジネス情報をつかみ取る方法をあの手この手と考えて実践する、皆で知恵を絞る…といった訓練です。いま考えるとRPGのようですが、当時はそんな余裕はなくて必死でした。
学生の頃は何もしない人間でしたが、会社に入って、自分で考えて行動し、結果につなげるという面白さに気づきました。アメリカのゼロックスからいろんな営業のやり方を持ってきていて、顧客の気持ちを推し量る購買心理学が使われていたし、社会的な観察力(働いている現場をみる力)も、この時に養われたと思います。
そんな研修を受けたあと、最初に配属されたのは名古屋支店でした。とにかく泥臭くて「営業は足で稼ぐもの」、「ライバルより1つでも多くお客様に訪問するもの」、「相手の懐に飛び込んで熱意を伝えるもの」というスポ根漫画のような現場で育ちました。
実働が始まると、いきなり営業実績が同期入社のなかで1位になり、中部地区でもトップ10に入って自分が一番驚きました。その後も営業としてのキャリアは順調でした。
しかし、「営業は一に行動、二に熱意、三が根性」という非合理的な考え方には、ずっと違和感を持っていて、4年目になると、もっとロジカルで知的なセールススタイルにできないか、模索するようになりました。入社7年目の1995年の秋に、「人材開発センター(東京)に異動させて欲しい」と、当時の支店長に直談判をしたところ、運よく願いを叶えていただき、未来のマーケターや営業リーダー開発を新たに担当することになりました。
■Q3.知識経営との出会いを教えてください。
1997年ごろに出版された野中郁次郎先生の本「知識創造企業」に出逢ったのが、今のキャリアに繋がる大きな転換点だったと思います。先輩社員に薦められたピータードラッカーの「ポスト資本主義社会」にも「知識経済社会の到来」と書いてあり確信しました。
1999年の暮れに、「ナレッジマネジメントのコンサルティング事業(KDI)の立ちあげ」の社内公募があり、すぐさま応募しました。当時の富士ゼロックスには、上司に相談せず、部署異動の公募に応募ができる「FA制度」があり、論文と、それまでのビジネス実績を提出して、面接に受かれば異動が叶ったんです。運命的だったなと今でも思います。異動した先で、野中先生や紺野先生と日常的に対話をして、仕事を進める夢のような毎日が始まったのです。現在、FCAJで進めているEMIC調査、場のオーディットや、ベンチマーキングのようなリサーチサービスもこの頃始めたことがベースとなっています。後にFCAJの理事になられる皆さまとの交流もこの時にはじまりました。
■Q4.大変な時を乗り越えるときに、立ち返る考え方はありますか?
営業や人材開発しか経験してこなかった人間が、突然コンサルタントを名乗り、しかもチームのマネジャーとして経営者と対話できるようになることは簡単ではありませんでした。クライアントの難しい課題を前にして、途方に暮れたことは一度や二度ではありません。人生で初めて自分から学習するようになりました。
メーカーの一部門という制約もあり、メンバーの長時間労働を許容するわけにもいかず、自ら被ってしまうことも多かったです。犠牲的精神を意識するのは、カトリックの洗礼を受けた影響かもしれません。
上手くいっていない職場を見ていると、51対49でいいから、その1%分を利他側に振ることを心がけるといいのに、と思うことがあります。人間はわがままな存在ですし、自分が一番大事だということを隠す必要はないけど、利他の精神を持っていた方が、人との関係や人生もうまくいくんじゃないかと思います。
■Q5.FCAJで今後やりたいことを教えてください
FCAJほど本気で「知識創造の場」を運営している参加者が集まっているコミュニティは他にありません。すべての場をつなぎ、目的に応じてみんなが利用し、さらにその先にある知識資源にお互いにアクセスできるようにしたいです。
「場」という考え方は、日本発で研究・発展できる余地が大きく、一番になれる可能性があります。「場のネットワーキング」を通じて、知識経済社会の実現に貢献したいと思います。
■Q6.FCAJの若手にメッセージをお願いします
どうやって第三者的に自分を保つかというのは大事だと思います。会社という組織の中にいると、社会やお客様より、社内の論理でものごとの判断を決めてしまうことがあります。うちにではやる余裕がないとか、そんなことやっても会社の得(売上)にならないとか。忙しさを理由に、やらないとか、無駄だからやめとけとかいう人はとても多いです。なにがそういわせているかというと、「大きな視点が欠けている」ことではないかと思っています。視点は会社の外に置くべきです。会社の論理側に軸を置かないように、意識して自分を保ってみてください。会社の外に視点を置いて、判断軸を持つ、自分を見る、といった癖をつけたほうが、将来的に「使える人物」にはなると思います。
「使える」というのは、メタ知識のことです。メタ=超越。専門性がないから問題が解けないのではなく、専門性を持った人を連れてこれないから解けないのです。どんな難問にあたって、どんな立場になっても成果を出す人というのは、その専門性に通じているのではなくて、問題の解き方とか、人の動かし方といった、メタ知識、メタスキルが高いのではないかなと思います。